マコト・ワールドへ
ようこそ(´▽`*)
゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜ 1月に姑は91歳の誕生日を迎える
お医者様はあと2~3日だろうとおっしゃったけど
姑はきっと誕生日まで生きるだろう
・・・そんな気がする
姑は身体も精神も我々軟弱者とは違う
何たって戦争体験者なのだから
満州で赤ん坊を抱きかかえながら弾丸の下を
ほふく前進して逃げ切った人だ
たくさんの日本人がソ連の捕虜になったが
姑は運よく逃げ切って舞鶴に引き上げてきたそうだ
赤ん坊は途中で死んでしまったが
死んだと悟られると捨てられてしまうから
ずっと生きてるかのように抱いていた
埋葬できる土のある場所にたどり着くまでずっと・・・
母親の執念とでも言うのだろうか
どんな思いで冷たくなったわが子を抱き続けたのか
想像を絶するものがある
姑の戦争体験談を聞いたのは
私が大学生の頃である
今さらだけど
もっとたくさん聞いておくのだったと後悔が残る
私は姑から聞いた話を息子にだけは伝えたいと思っている
戦争の体験を語り継ぐことが残された子の務めだから
そうしないと忘れた頃に
また愚かな戦争が繰り返されるかもしれない
感慨深げな私の話を聞いて
パパリンが言った
「へぇ~ そうなんだ。
オレそんな話聞いたことない。」(ーー;).。oO
今は半分ぐらいにちっちゃくなってしまったわ
最後まで読んでくれてありがとう
姑のたくましさには勝てません
また来てね~
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テーマ : つぶやき - ジャンル : 日記
驚き
他所の人は子供が歩けなくなって寝てしまってお菓子を一緒に置いて逃げたとか、死んだ子を土の中に埋めて逃げたとか本になりそうなくらいの話が一杯です。
本当にそんな中を逃げ切っただけたくましいわ。
語り部
それに引き換えのんきなパパリン。
女性だけにわかる話だと思ったのかもしれませんね。
こういう話は引き継いで行かなきゃいけないと思いますよ。
日本人は忘れやすいから。
お義母さんの様子はどうだろう。
アネキ、体調崩してないかな。
また、来るよ
☆お返事遅れてすみません
とうとう逝ってしまいました。
たくましい姑も癌には勝てませんでした。
私にはいつも勝ってたのにね。
もうバトルもできないと思うとちょっと寂しいような・・・
んなわけはありません。
ただ、パパリンを産んでくれたことに感謝するばかりです。
ご心配かけましたが私は元気です。
いつも励ましの言葉をありがとうございました。
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